世の中が大きく変わる転形期にあっては、波をつかんだ者が勝つ。波を逃した者は、次の波をにらんでポジションを変えるしかない。
今後、この国はどういうポジションをとれるのか。この国のかたち、そして未来について思いを巡らす今日このごろです。
六部(ろくぶ)が三十余年、山や川、海などを経めぐって、思わぬ異郷にたどりついたとき、浜辺で土地の者が取りかこみ、それぞれに口をきく。いづかたより参られしか。・・・そんな狂言があったと仮定されたい。
「日本。・・・」
と、六部がいっても、一向に通ぜず、ついにはさまざまに手まね身ぶりまで入れて説明し、あげくのはて、砂地に杖で大小の円を描く。さらには三角を描き、雲形を描き、山の如きもの、目の如きもの、心の臓に似たるもの、胃の腑かと思われるものを描くが、ひとびと了解せず、
「そのような国、いまもありや」
と、きく。すでに日落ち、海山を闇がひたすなかで、六部悲しみのあまり、
「あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた」
しかしながら、あらためて問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても十九世紀までの世界史が成立するように思えてきた。
となりの中国でさえ、成立する。大きな接触といえば十三世紀の元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。が、存在の証明が、日本が発明したとされる扇子一本だけということではかぼそすぎる。
ともかく、十九世紀までの日本がもしなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も、夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。
しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったとおもう時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」とおもってくだされば、ありがたい。
司馬遼太郎 「新刊ニュース」1990年5月号 より
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