遡る事、一昨年の11月。。。
惜しむべき後輩が逝ってしまった事から始まったのかも
その後輩の従兄弟が板金業をやっていて、何故か建具の塗装の依頼を受けたが、どうやっても色が乗らない・・・
そこで巡り巡って、オレの所にシートで貼れないかという話しになった
結局仕事を請けて、工場のスペースで施工することになり、
その後輩の従兄弟とはこの時が初対面で、たあいない世間話しをしていると結構共通な知り合いが多い事が判明しつつ、今回のプロジェクトの拠点LIttle Wingの代表「ノッポ」の話しも出て来た。。。
どうもオレの兄貴「JJ」の古くからの知人達の話しの流れで、ある有名なセレクトショップのバイヤーが、これまたアメリカ在住の古〜い知人から木箱に入ったままの80年代初期のXR1000のdead stockを買ったらしく、それを開けて組んだのがノッポだと。。。
どうやらこの時、「本当に組んじゃっていいんですか?」と何度も念を押して聞いたらしいが(笑)
それはさておき、ノッポとは古くから知り合いで、つるんで遊んだりするような仲ではなかったが、JJとも仲良くしていたし、なによりLIttle Wingは当時もの凄くカッコよかった
その頃オレは30歳少し過ぎた位で、バイクも好きで大型のHONDAに乗っていたが、
実のところHarleyが欲しくてしょうがなかった。。。
でも金がなくて現実的な話しには繫がらなかった訳だが・・・
(当時は今にも増して極貧だったんだ・・・・)
そのうちに海の帰り道とかに、チョイチョイLIttle Wingに寄るようになった、
ノッポもサーファーだった事も幸いして、段々と色々話すようになっていった。。。
その頃、ノッポが作るHarleyは真にオレの理想で、
いい具合にヤレた感じの、何とも言えないセンスが感じられて
いつか作る時は、ここ以外考えられないなと、このときにもう決めていたんだと思う。。。
それから程なくして、やっぱりHarley乗るか・・・・
と決心がつき始めた頃、サイドバルブのWL750が候補に浮かんだ、なんでWLかよく解ってなかったが、今思えば多分JJに色々吹き込まれたんだろうと思う
当時WLはまだ今程値段も高くなく、ぼろい車両なら100万円で手に入りそうだったし、
それを工場で一緒に組み直したいと頼んだ事もあった、
(WL、今は250万位は下らないな。。。)
それと同時に、エボリューションのビックツインで事故車等で下取ったり、格安の車両が出たら流してくれないかと頼んでもあった・・・
ほどなくして、ソフテイルの事故車が入ったのでそれをそのままの値段で出してもよいと・・・ ただし後ろから突っ込まれてテールが終わっていたため、修理用にファットタイヤキットをアメリカから取り寄せているので、それも引き取りが条件だった。。。
そのキットが当時78万円・・・・
他にも結構掛かる・・・
煮え切らないうちに話しも流れ、決心も曇ってきつつ、遊びにいく回数も減っていった・・・
それでも時々イベント等で一緒になると、
「諦めてないからさ! いつかオレのバイク作ってよ!」
なんて言い続けていたが、サーフィンだけだったのが、更には釣りが加わってきて・・・・・
すでに到底バイクが入る隙間はなくなっていった。。。
何年か前JJに、なんかHarley乗りてぇな〜と言ったら、
「お前の生活に、これ以上バイクなんか入れたらどうなるのよ! 無理ムリ」
なんて言われた時があったな(笑)
確かに身体は一つだもんな。。。
話しが戻るが、その後輩の従兄弟の所からの帰り道、
何年かぶりにLIttle Wingに寄ったんだ・・・
(LIttle Wingは今住んでる所から5分くらいなのにな・・・ 全然行ってなかった・・・)
オレがBUSに乗って現れたってのもあり、車の話しや、昔話、JJの話しなんかで盛り上がり
それからまた以前のように、ちょくちょく寄るようになった。。。
そういえば、「最近は修理屋ですよ! 前みたいなカスタムはほとんどやらなくなりました」
確かに店の前には1940年代の車両がメインで、ほぼ全てがINDIAN・・・
結構ストックのまま乗ってる人が多いようだ
そんなこんなで4月頃だったか???
またバイクに乗りてぇな〜と考えるようになり、今ならいけるかな?
ていうか、この先何年残ってるんだ???
そろそろリミットが近いぜ!
そんな事をやたら考えるようになって、ノッポに相談した・・・・
色々話をして、金策も含め現実的に何とかなると踏んで
車両をノッポのアメリカの信頼出来る後輩に探してもらう事になった
このとき「時間だけ下さい」と言われたな。。。
店はとにかく忙しくて、宿題がどんどんたまっていくので、
急ぎの修理依頼、ましてカスタムなんかは物理的に無理な状態だった
それからは月に1〜2回位顔を出して、余計なプレッシャーをかけないようにしながら(笑)
それでも毎回ノッポは申し訳なさそうに
「何台か見てるんだけど、イマイチ決定打に欠けるんスよ」と、
アメリカより送られて来ていたメールを見せてくれた
中にはリジットに乗せられているのもあり、いかにもガレージチョッパーという感じの車両やら、シリンダーのフィン折れがある車両など、中身が疑わしい。。。
そのうち値段はそこそこするが、ストックでいい車両は出てるんで、それを保険にして9月いっぱいをリミットにと提案があったっけ・・・・
それでもやはり妥協したくなくて、9月が終わった時点で延長の申し出をした。。。
10月末に見てもらいたい車両があるので帰りでも寄ってくれないかと電話が来た、この半年程の間で初めての事だ。。。
そのアーリーシャベルは見てもらいたいと言うだけに相当良かったが、値段がそれなりなのと、カスタムしてしまうには惜しい位、いい感じの車両だった、
この時もまたそれを保険にして、もう少しだけ探しましょうという事になったすぐ3日後・・・・・
今回のコイツが見つかった。。。。。
ノッポが写真から見える範囲と、純正パーツの残り具合からいい加減な事はやってなさそうと判断、結果的には金額的にも、車両的にもほぼ理想に近い車両が見つかった訳だ
途中でファーストアーリーの'66にも選択肢を広げたりもしたっけ
(実車を見て、流石だなと改めて思った・・・ 見るべき所を少ない資料からの判断は大変だったと思うし、プレッシャーもあっただろうし・・・)
11月3日に見て、すぐに送金して抑えてもらい
シッピングの段取りをして1月日16日以降で、引き取りの準備が始まったのだ
そして22日の朝、ノッポからの電話で
予定通り引き取ってきたので、エンジン等火を入れる準備して待ってますと電話をもらった、
できれば場所が無いので、今日中にバラしてしまいたいので早めに見てくれと
待ってましたとそそくさと出掛けたのは言うまでもないが。。。
あぁ、1時間くらいだったろうかこの状態でいたのは・・・・・
42年間アメリカで走ってきて、何の因果かはるばる極東の国まで運ばれた上に
あっという間にバラバラにされて・・・・・・・
このHarleyはどう感じたろうな・・・・
これが来た状態最後の姿になった↓
こうして見ると、コレはコレでカッコいいな
身体のデカイ奴が乗っていたのか・・・
ステップボードの位置とか、前に出ている
走るのにストレスが少ないように、改良した跡がみられるな
Malloryのビレットタイプデスビに、フルトラが組み込まれていた
キャブはS&Sのショーティが付いていた
やはり結構開けて走るオーナーだったんだろう
キックカバーはオリジナル
フタを外してキックを付けるだけでいけそうだ・・・
写真で見た時はここはセルオンリー車で完全潰されてると思ってたから嬉しい
ミッションケースの傷みも無さそうだしギアも入る
バッテリーもセルを回せる位生きていたという事は
やっぱり普通に走っていた車両、いわゆるランニングコンディションというやつだ
この頃はマイナスネジなんだが、どれもサイズの合った工具で、ちゃんとメンテされていた事が伺える、ネジ山はこじれてないし、オリジナルのネジが多く残っている。。。
こういう車両は少ないんだ
42年経って、極東の国に渡り姿を換えるんだ。。。。
大丈夫、バッチリ気に入るようにカスタムするよ。。。。。
2 comments:
いいですね!ヤレた感じが言わせません!
友人への想いと、意思を貫き通す気持ちにグッときます。
私は、若い頃中途半端で中免まででしたが、FXとGPZ・・・
その後は車へ移行でした。
何時かは!HDと思い、レッドウィングのエンジニアブーツ
とワンスターだけは準備していたのですが(25年前)
Mamoruさん いいね!
Diroさん>
長文にお付き合い頂きありがとうございます
どういう訳か、諦めが悪いんですかね?
若い頃に強く思った事や、
その頃に見てきた尊敬する先輩達の姿に追いつきたいのか?
自分でもよく解りません、でも昔から何故か人との出会いだけには本当に恵まれているんです。。。
おそらく子供がいたら、違ったとは思います。。。
でも思い描いた計画の最後、小さいですがこれでコンプリート、これ以上望んだらバチが当たります。。。
いつもコメント入れて頂き、感謝です!
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